今日は、資料整理
昼まで、資料整理をする。
だいぶたまっていたので、右辺、左辺、さあ大変。
ジョイマンか?
昼から、聖徳太子についてYOUTUBEを見ていた。
なかなか、面白い内容であった。
有名な「日出処天子至書日没処天子無恙云々」の国書を
見た隋の煬帝が、激怒した。
というのは、「天子」という言葉を日本が使ったという
ことだ。
「天子」は中国の帝だけが許される言葉で、格下の日本
が使う言葉ではないし、ありえなかったため激怒したのだった。
そこで何故、聖徳太子は、煬帝が激怒することが判っているにも
関わらず、朝貢からの脱却、隋と対等の立場でのこれからの外交
を求めたのか・・・?
その答えは、
当時、隋は中国統一を成し遂げたのだが、あまりにも
代償が大きく、また高句麗との戦いにも一時的に負けたのが響い
ており、日本からの国書を破る、または突き帰す訳にもいかず、
受け取ったことが、その後の日本の国益を高めたのだ。
聖徳太子は、こういった隋の現状を的確に把握した上で、小野妹子
に国書を持たせたのだった。
外交とは、こういったことである。
翻って、今の日本の外交は、どうだろう?
数多の国に遠慮したことによる数々の不利益。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。
大変、参考になり、僕も参考にしたいと思った。